2015年7月25日土曜日

【NHK】戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(3) 公害先進国から環境保護へ


日本の環境問題への取り組みは、高度経済成長期の「公害」の発見からはじまった。三重県四日市では、石油化学コンビナートから出る亜硫酸ガスにより、住民が喘息に悩まされた。漁師の野田之一さん(83)は語る。「最初は四日市が賑わうから両手を挙げて賛成したけど、こんなことは想像もしなかった」。四日市を教訓として、住民達がコンビナート進出を阻止したのが静岡県三島沼津の住民だった。主婦の山本保子さん(81)は「勉強会を繰り返しました。子どもたちを苦しめるわけにはいかなかった」という。

行政は公害の対策として、1967年には公害対策基本法を成立させた。さらに1971年には環境庁を設立。この頃、良好な環境を享受するのは基本的人権であるという考え方「環境権」が共有されるようになる。北海道の伊達市では、火力発電の建設をめぐり、環境権を旗印に市民たちが闘った。結果として、市の条例に環境権がうたわれるようになった。そして日本は徐々に環境を重視する社会へと変貌していった。

1992年、ブラジルリオで地球サミットが開催、環境問題は日本だけにとどまらないものとなる。とりわけCO2削減の問題は世界共通のテーマとなり、京都会議でその枠組みが決められていった。公害の発見から地球環境問題へ。戦後七〇年、日本人が向き合ってきた環境の取り組みを一般市民、科学者、行政担当者など様々な立場の証言から立体的に構成していく。

【語り】西島秀俊
番組HP:http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/

0 件のコメント:

コメントを投稿