本著は、明治3年に教えを乞うた旧庄内藩士(酒井忠篤ら)に対して西郷隆盛が説いた内容を41か条にまとめたものですが、以下は特に心に残りました。(41か条全文とその現代語訳はこちらのサイトで見られます。)
第四ケ条
万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して、人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。
国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。
第七ケ条
事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。人多くは事の指支ふる時に臨み、作略を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きもの也。
どんな大きい事でも、小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、一時の策略を用いてはならない。人は多くの場合、難しい事に出会うと、何か策略を使ってうまく事を運ぼうとするが、策略した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。正しい道を踏み行う事は、目の前では回り道をしているようであるが、先に行けばかえって成功は早いものである。
第二十一ケ条
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己に克つの極功は、『毋意、毋必、毋固、毋我』。総じて人は、己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。
道というものは、天地自然の道理であるから、学問の道は『敬天愛人』を目的とし、自分を修めるには、己れに克つという事を心がけねばならない。己れに克つという事の真の目的は「意なし、必なし、固なし、我なし」我がままをしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない。という事だ。一般的に人は自分に克つ事によって成功し、自分を愛する(自分本位に考える)事によって失敗するものだ。
第二十四ケ条
道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。
道というの天地自然のものであり、人は之にのっとって生きるべきものであるから何よりもまず、天を敬う事を目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛し下さるから、自分を愛する心をもって人を愛する事が大事である。
第二十五ケ条
人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し、人
を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
第二十七ケ条
過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出す可し。
過ちを改めるに、自分から過ったとさえ思いついたら、それで良い。その事をさっぱり捨てて、ただちに一歩前進するべし。
第三十ケ条
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成し得られぬなり。
命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。このような始末に困る人でなければ、困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成する事は出来ない。
第三十五ヶ条
人を籠絡して、陰に事を謀る者は、好し其の事を成し得るとも、慧眼より之を見れば、醜状著るしきぞ。人に推すに、公平至誠を以てせよ。公平ならざれば、英雄の心は決して攬られぬもの也。
人をごまかして、陰でこそこそと策略する者は、たとえその事が上手に出来あがろうとも、物事をよく見抜く人がこれを見れば、醜い事がすぐ分かる。人に対しては常に公平で真心をもって接するのが良い。公平でなければ英雄の心を掴む事は出来ないものだ。
第三十九ヶ条
今の人、才識有れば、事業は心次第に、成さるるものと思へども、才に任せて為す事は、危くして見て居られぬものぞ。体有りてこそ、用は行はるるなり。肥後の長岡先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ様に、なりたるとて嘆息なされ、古語を書きて授けらる。
夫天下非誠不動。非才不治。誠之至者其動也速。
才之周者其治也広。才興誠合然後事可成。
今の人は、才能や知識だけあれば、どんな事業でも思うままに出来ると思っているが、才能に任せてする事は、危なかしくて見てはおられないものだ。しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老、勤皇家)のような立派な人物は、今は見る事が出来ないようになったといって嘆かれ、昔の言葉を書いて与えられた。
『世の中のことは真心がない限り動かす事は出来ない。才能と識見がない限り治める事は出来ない。真心に撤するとその動きも速い。才識があまねく行渡っていると、その治めるところも広い。才識と真心と一緒になった時、すべての事は立派に出来あがるであろう』
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