2012年10月22日月曜日

【書評】悪と徳と 岸信介と未完の日本(福田 和也)

本書は、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介の幼少期から安保条約改定を断行した首相時代までの岸の歩みとその時代背景を、本人や関係者による回顧録も参照しながら振り返りつつ、現在の日本が抱える問題に一考を与えるもので、明治から戦後・昭和の状況を知るのにはうってつけの良書です。
(その文芸的な表現も勉強するところが多々ありますが、何より明瞭かつ簡潔な書体でパッと理解しやすいです)。

<幼少~学生期>
・吉田松陰に軍学を授けた祖父による家ぐるみの英才教育が施された
・北一輝の日本改造法案に触れ、その緻密性に感化され、相通ずるものを感じる
・主流の陸軍(長州閥)、大蔵・内務省(東京帝大一の秀才)を選ばず、当時三流と呼ばれた農商務省(⇒商工省)を選ぶ

<官僚時代>
・第一次大戦後のパリ講和会議では、戦勝国として五大国の一角に連なりつつも、代表団がほとんど議論に参加できず、日本外交の無能と無内容を晒す
・官僚の公への忠誠のあり方として、明治期の官僚は朝臣として、天皇に忠誠を誓うことを求められる
・金本位制を目指した浜口雄幸内閣による財政引き締め、官吏の減棒方針に対して、商工省における反対運動のリーダーとして、辞表をまとめ直接大臣の下に出向いて撤回申入れ
・新興国アメリカの圧倒な産業力に対抗するため、ドイツ型の産業合理化・国家統制化(生産方式の最新化、合理化カルテルの締結)の必要性を痛感し、時の次官-岸文書課長ラインを形成し、重要産業統制法の導入など推進

<戦中>
・時の商工大臣からパージされる形で次官とともに商工省を辞任、満州に渡り、産業開発に従事、日産の鮎川義介の招聘などを成し遂げ、満州経営の実権を握る「二キ三スケ」(東条秀機など)の一人に若輩にして数えられた
・40代前半に次官として商工省に復帰、自分より年上の商工官僚全員を辞めさせ若手を抜擢、さらに他省の革新官僚ら(企画院など)と共に、総動員体制を支える統制経済を推進するも時の大臣と対立して辞表
・東条内閣において商工大臣として入閣、自ら商工省を軍需省に改組させるも、敗戦明らか故に講和を主張し、憲兵に監視される身分となり、結局、閣内不一致で内閣総辞職

<戦後>
・巣鴨プリズンに3年半いたことで、逆に健康状態がよくなる
・一時社会党への入党を考えていたが相手に断られ、結局、弟佐藤栄作もいる自由党で政界復帰
・民主鳩山を支え、保守合同⇒自主防衛、自主憲法を戦後・日本の国是とした自由民主党の設立に貢献
・三木武吉の言葉「無理押しをするんじゃない。無理押しは、一生に一度しか通らないもの」
・総理として、安保改定に向けた自主防衛の充実、戦後初のアジア歴訪(インド:ネルー(戦時日本と協力)、台湾:蒋介石(抗日)、タイ(同盟国として英米に宣戦布告)、スリランカ、ビルマ、)、初の公式訪米:アイゼンハウワー大統領と対等の付き合い

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