本書は、戦前・戦中の衆議院議員を経てバプテスト教会牧師となり、若松市長を務めた筆者の回顧録。
戦時中国会議員として戦争批判・軍部非難を行った結果、軍事裁判・獄につながれ屈辱と憎悪の中瀕死の状態となったが、キリスト教の教えにより、裁きは神がするものであり、復讐してはならないとして気持ちが洗われ、また亡父の生前の徳などにより獄中で救われ、戦後は牧師として旧若松市長となり若戸大橋の建設・開通、北九州市対等合併の後初代市長役を務めるに至った。
獄中の様は凄惨を極め、そこでの宗教体験や生還の模様は奇跡の感がある。
戦時中国会議員として戦争批判・軍部非難を行った結果、軍事裁判・獄につながれ屈辱と憎悪の中瀕死の状態となったが、キリスト教の教えにより、裁きは神がするものであり、復讐してはならないとして気持ちが洗われ、また亡父の生前の徳などにより獄中で救われ、戦後は牧師として旧若松市長となり若戸大橋の建設・開通、北九州市対等合併の後初代市長役を務めるに至った。
獄中の様は凄惨を極め、そこでの宗教体験や生還の模様は奇跡の感がある。
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