2013年9月29日日曜日
2013年9月25日水曜日
小倉フレンチ French in Kokura
小倉にあるフレンチレストラン「ル・ポン・ド・フェール」に行ってきました。店内の雰囲気もよく、職場横の勝山公園が目の前なので沙羅も遊べるし、のんびりしたい時に行けるところです。ちなみに、その隣にも別のフレンチとイタリアンのお店が軒を連ねており、このプチ欧州横丁をいずれ制覇してみたいです♪
We have visited "Le Pont De Fer", the French restaurant open to Katsuyama park in Kokura. Its atmosphere was nice and Sarah could play in the park - You can go there to feel relaxed and take it easy :-) By the way, another French and the Italian restaurants stand in a low so I am willing to conquer this petit European lane someday!
2013年9月24日火曜日
ハーモニーランド Harmonyland
キティやマイメロちゃんに会いに、大分にあるサンリオ「ハーモニーランド」に行ってきました。ゴーカート、キティラボ、マイメロ館、観覧車、パターゴルフ、ゴンドラ、メリーゴーランドと回りましたが、沙羅的には、マイメロちゃんの部屋とメリーゴーランドがお気に入りの様子。何故か、実家の近所にあった横浜ドリームランドの事を思い出しました♪
We have been to "Harmonyland", the Sanrio's character park in Oita, to see "Hello Kitty" and "My Melody". Among various attractions including go-cart, Kitty's lab, My Melody house, Ferris wheel, patter golf, gondola and merry-go-round, Sarah had a crush on My Melody's room and merry-go-round. Somehow, this reminded me of already-closed Yokohama Dreamland nearby my parents house :-)
We have been to "Harmonyland", the Sanrio's character park in Oita, to see "Hello Kitty" and "My Melody". Among various attractions including go-cart, Kitty's lab, My Melody house, Ferris wheel, patter golf, gondola and merry-go-round, Sarah had a crush on My Melody's room and merry-go-round. Somehow, this reminded me of already-closed Yokohama Dreamland nearby my parents house :-)
2013年9月22日日曜日
2013年9月19日木曜日
【書評】はじめて学ぶ日本外交史(酒井一臣)
本書は、江戸時代末期から戦後までの日本の外交史をトピック的に分かりやすく紹介するとともに、文明国標準という観点から、近現代の日本と国際関係を描くもの。
・幕末に渡米した旗本の外交官(村垣範正)は、その技術力には驚くものの、徳川幕府に比べて儀礼のないアメリカを「野蛮」な国と捉えていた。
・19世紀の国際法・国際体制には西洋諸国に有利な「文明国標準」の発想があり、欧米諸国のような「文明国」ではない国や地域に対しては、文明国間の方や制度は適応しないという考え方。、
・日露戦争を経て巻き起こった「黄禍論」(多くの労働移民を送り出した中国人や近代国家として力をつけてきた日本人などの黄色人種の勢力が、それまで世界を支配してきた欧米列強の白人諸国の脅威になるという議論)に対して、日本のアダム・スミスと呼ばれる経済学者の田口卯吉は、「日本人は白人である」という主張(打算を働かせて西洋文明に順応するしかないと訴えたかのだろう)をした。
・明治時代以降、アメリカで日本人移民に対する排日運動が起きたが、外務次官・駐米大使を歴任した日本の外交官(埴原正直)からも見捨てられ、日本人移民は醜く不健全な「下等人種」であり、「恥を国外に曝」していると厳しく評価された。
・第二次世界大戦に至る前、日本外交は国際協調を目指したが頓挫した。それは「愚民」に外交は理解できないとする幣原喜重郎をはじめとするによるエリート外交主義の限界であり、民主化が進む社会が大衆化したことにより、流されやすい世論に抗しきれなくなったことが一因である。
・1930年のロンドン海軍軍縮条約では、日本の補助艦比率を米英の69.75%にすることが決められたが、これは比率を6割とすべきとする英米と7割でなければ国防上困難とする日本の主張を、文官で大蔵省出身の元首相、若槻礼次郎が猛勉強の末、シビリアン・アドミラルと言われる程の軍事知識を基に、0.25%譲歩して名を実の両方を確保した結果であった。しかし、それらを断固進めたライオン宰相の浜口雄幸は銃弾を受け帰らぬ人となった。
・満州事変やその後の侵略については、政党政治(選挙で選ばれる衆院の二大政党の党首が首相を務めた)の時期に行われたものであり、不況に苦しむ不満を無謀な軍事行動を喝采することで晴らそうとした国民の責任を忘れてはならない。
・国際連盟に派遣されたリットン調査団は、満州国を認めないものの、中国側の反日行動も批判し、満蒙地域に自治政府をつくり国際管理することを提案する報告をまとめた。これは、日本との決定的関係悪化を避けたい英仏米の意向が反映された日本への配慮に満ちたものであり、満蒙が日本の特殊権益であることを認める日本に有利な解決策といえた。しかし、日本は受入れず、松岡洋右は国際連盟脱退を宣言せざるを得なくなった。松岡は会議場を出ながら「失敗だった」と呟いた。
・1930年代前半は、日印会商、日蘭会商、日フィリピン交渉、日豪会商など、経済外交を通じて欧米諸国と互いに依存しあう国際協調外交を展開した。しかし、日本が侵略姿勢を改めない限り、本当の親善(正常な国際協調外交)は困難であった。
・日中戦争を拡大・悪化(南進、東南アジアの侵略、欧米との関係悪化、対米開戦)させたのは実は軍部ではなく(陸軍は対ソ戦略から日中戦争の拡大を望んでいなかった)、世論に敏感でその場限りの対応に終始し、自ら責任を負うことを避けた近衛文麿首相であった。決められない政治家の責任はやはり重い。
・植民地の独立時に宗主国にいる植民地の人には、国籍選択の自由が与えられるのが一般的だが、終戦時に日本に200万人いたとされる朝鮮人に対して、日本政府は、朝鮮が開放されたので彼らは日本人ではない、という立場を取った。これは戦時労働への補償を減らしたいという思惑もあり、日本人という枠組みを都合よくを使い分けた。現在の日本は当たり前のように単一民族と思われていて、在日韓国朝鮮人の問題をこの「元日本人」の問題と意識する割合は非常に低い。日本人とは何か?という問題である。
・岸信介首相時代に最盛期を迎えた安保闘争は、自民党に教訓を残した。憲法改正や安全保障を表立って議論するのはタブーということだ。政権を維持するためには、経済成長政策を全面に押し出し、利益の配分に集中すればよい。
・北京入りした田中角栄首相に対して、日中共同宣言の交渉後、毛沢東国家主席は、「もう喧嘩は終わりましたか?」と尋ね、会談は友好的でしたと答えると「雨降って地固まるということもあります」と述べた。隣国だからこそこれまで利害が錯綜して衝突を繰り返してきた。様々な出来事が引き金となって両国間に雨が降ることもあるが、そのあとどうやって地固めするのか、つねに考えるべき課題である。
・今の「グローバル化」や「世界標準化」も、文明国標準と似た面が多い。
・幕末に渡米した旗本の外交官(村垣範正)は、その技術力には驚くものの、徳川幕府に比べて儀礼のないアメリカを「野蛮」な国と捉えていた。
・19世紀の国際法・国際体制には西洋諸国に有利な「文明国標準」の発想があり、欧米諸国のような「文明国」ではない国や地域に対しては、文明国間の方や制度は適応しないという考え方。、
・日露戦争を経て巻き起こった「黄禍論」(多くの労働移民を送り出した中国人や近代国家として力をつけてきた日本人などの黄色人種の勢力が、それまで世界を支配してきた欧米列強の白人諸国の脅威になるという議論)に対して、日本のアダム・スミスと呼ばれる経済学者の田口卯吉は、「日本人は白人である」という主張(打算を働かせて西洋文明に順応するしかないと訴えたかのだろう)をした。
・明治時代以降、アメリカで日本人移民に対する排日運動が起きたが、外務次官・駐米大使を歴任した日本の外交官(埴原正直)からも見捨てられ、日本人移民は醜く不健全な「下等人種」であり、「恥を国外に曝」していると厳しく評価された。
・第二次世界大戦に至る前、日本外交は国際協調を目指したが頓挫した。それは「愚民」に外交は理解できないとする幣原喜重郎をはじめとするによるエリート外交主義の限界であり、民主化が進む社会が大衆化したことにより、流されやすい世論に抗しきれなくなったことが一因である。
・1930年のロンドン海軍軍縮条約では、日本の補助艦比率を米英の69.75%にすることが決められたが、これは比率を6割とすべきとする英米と7割でなければ国防上困難とする日本の主張を、文官で大蔵省出身の元首相、若槻礼次郎が猛勉強の末、シビリアン・アドミラルと言われる程の軍事知識を基に、0.25%譲歩して名を実の両方を確保した結果であった。しかし、それらを断固進めたライオン宰相の浜口雄幸は銃弾を受け帰らぬ人となった。
・満州事変やその後の侵略については、政党政治(選挙で選ばれる衆院の二大政党の党首が首相を務めた)の時期に行われたものであり、不況に苦しむ不満を無謀な軍事行動を喝采することで晴らそうとした国民の責任を忘れてはならない。
・国際連盟に派遣されたリットン調査団は、満州国を認めないものの、中国側の反日行動も批判し、満蒙地域に自治政府をつくり国際管理することを提案する報告をまとめた。これは、日本との決定的関係悪化を避けたい英仏米の意向が反映された日本への配慮に満ちたものであり、満蒙が日本の特殊権益であることを認める日本に有利な解決策といえた。しかし、日本は受入れず、松岡洋右は国際連盟脱退を宣言せざるを得なくなった。松岡は会議場を出ながら「失敗だった」と呟いた。
・1930年代前半は、日印会商、日蘭会商、日フィリピン交渉、日豪会商など、経済外交を通じて欧米諸国と互いに依存しあう国際協調外交を展開した。しかし、日本が侵略姿勢を改めない限り、本当の親善(正常な国際協調外交)は困難であった。
・日中戦争を拡大・悪化(南進、東南アジアの侵略、欧米との関係悪化、対米開戦)させたのは実は軍部ではなく(陸軍は対ソ戦略から日中戦争の拡大を望んでいなかった)、世論に敏感でその場限りの対応に終始し、自ら責任を負うことを避けた近衛文麿首相であった。決められない政治家の責任はやはり重い。
・植民地の独立時に宗主国にいる植民地の人には、国籍選択の自由が与えられるのが一般的だが、終戦時に日本に200万人いたとされる朝鮮人に対して、日本政府は、朝鮮が開放されたので彼らは日本人ではない、という立場を取った。これは戦時労働への補償を減らしたいという思惑もあり、日本人という枠組みを都合よくを使い分けた。現在の日本は当たり前のように単一民族と思われていて、在日韓国朝鮮人の問題をこの「元日本人」の問題と意識する割合は非常に低い。日本人とは何か?という問題である。
・岸信介首相時代に最盛期を迎えた安保闘争は、自民党に教訓を残した。憲法改正や安全保障を表立って議論するのはタブーということだ。政権を維持するためには、経済成長政策を全面に押し出し、利益の配分に集中すればよい。
・北京入りした田中角栄首相に対して、日中共同宣言の交渉後、毛沢東国家主席は、「もう喧嘩は終わりましたか?」と尋ね、会談は友好的でしたと答えると「雨降って地固まるということもあります」と述べた。隣国だからこそこれまで利害が錯綜して衝突を繰り返してきた。様々な出来事が引き金となって両国間に雨が降ることもあるが、そのあとどうやって地固めするのか、つねに考えるべき課題である。
・今の「グローバル化」や「世界標準化」も、文明国標準と似た面が多い。
2013年9月18日水曜日
【書評】そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか(山口揚平)
【評価:】(興味関心があれば読むことをおススメ)
本書では、「好き」で「食う」ためには、①バリュー、②システム、③クレジットの3つが重要であるとし、特に②について、稼ぐシステムを構築しないとダメ、ということを解説しています。
①バリュー: スキルや商品の価値=売上や利益に直結するもの。ミッションが社会的価値に結びついたもの。30歳くらいまで目の前の仕事を丹念に注力すればミッションが見えてくる。後は自分の使命と才能を貢献に転換するのみ。
②システム: 稼ぎの土台となるもの。経営システムとなるもの。
③クレジット: 信用のこと。独立するとサラリーマン時代の10分の1~20分の1になる。戦略的に信用を創造することが重要。
本書では、「好き」で「食う」ためには、①バリュー、②システム、③クレジットの3つが重要であるとし、特に②について、稼ぐシステムを構築しないとダメ、ということを解説しています。
①バリュー: スキルや商品の価値=売上や利益に直結するもの。ミッションが社会的価値に結びついたもの。30歳くらいまで目の前の仕事を丹念に注力すればミッションが見えてくる。後は自分の使命と才能を貢献に転換するのみ。
②システム: 稼ぎの土台となるもの。経営システムとなるもの。
③クレジット: 信用のこと。独立するとサラリーマン時代の10分の1~20分の1になる。戦略的に信用を創造することが重要。
- 意思決定は「し続ける」こと自体が大事・・・独立したら一大事なのは「勝率」。意思決定のスピードを速めれば速めるほど、先に進める。
- 成功する事業は、アイデア1000個のうち3つだけ・・・多くに手をつけるよりも、よく考えることが重要
- 意思決定は、頭で考えて整理し、ハートで判断する。
- 判断する際には、直観ではなくて事実を重視する。
- 優秀な人材は、全人格を捉えるのではなく、その中の一部でよいので優秀な点に着目して採用する。
- 能力を上げるよりもプライドを下げる努力をする・・・優秀さとは、有能さと謙虚さの掛け算である。
- やりたくないこともクリアするのが現実・・・やりたいこと1つの裏には10のやりたくないことがある。
- 最後は、何とかなる・・・独立してやっぱり食えなかったという人はまずいない
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