2012年8月19日日曜日

【書評】西郷南洲遺訓(山田済斎編)


本著は、明治3年に教えを乞うた旧庄内藩士(酒井忠篤ら)に対して西郷隆盛が説いた内容を41か条にまとめたものですが、以下は特に心に残りました。(41か条全文とその現代語訳はこちらのサイトで見られます。)

第四ケ条

万民ばんみんうえするものおのれつつしみ、品行ひんこうただしくし、驕奢きょうしゃいましめ、節倹せっけんつとめ、職事しょくじ勤労きんろうして、人民じんみん標準ひょうじゅんとなり、下民かみん勤労きんろうどくおもようならでは、政令せいれいおこなはれがたし。

国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。


第七ケ条 

事大小ことだいしょうく、正道せいどう至誠しせいし、一時いちじぼうもちからず。ひとおおくはこと指支さしつかふるときのぞみ、作略さくりゃくもちい一旦いったん指支さしつかえとおせば、あと時宜じぎ次第しだい工夫くふう出来できようおもへども、作略さくりゃくわずら屹度きっとしょうじ、ことかならやぶるるものぞ。正道せいどうもっこれおこなへば、目前もくぜんには迂遠うえんなるようなれども、さきけば成功せいこうはやきものなり。 


どんな大きい事でも、小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、一時の策略を用いてはならない。人は多くの場合、難しい事に出会うと、何か策略を使ってうまく事を運ぼうとするが、策略した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。正しい道を踏み行う事は、目の前では回り道をしているようであるが、先に行けばかえって成功は早いものである。 



第二十一ケ条

みち天地てんち自然しぜんみちなるゆえ、講学こうがくみち敬天けいてん愛人あいじん目的もくてきとし、しゅうするに克己こっきもっ終始しゅうしせよ。おのれつの極功きょくこうは、毋意いなく毋必ひつなく毋固こなく毋我がなく総じてそうじてひとは、おのれれにつをもっり、みずかあいするをもっやぶるるぞ。

道というものは、天地自然の道理であるから、学問の道は『敬天愛人』を目的とし、自分を修めるには、己れに克つという事を心がけねばならない。己れに克つという事の真の目的は「意なし、必なし、固なし、我なし」我がままをしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない。という事だ。一般的に人は自分に克つ事によって成功し、自分を愛する(自分本位に考える)事によって失敗するものだ。


第二十四ケ条

みち天地てんち自然しぜんものにして、ひとこれおこなうものなれば、てんけいするを目的もくてきとす。てんひとわれも、同一どういつあいたもふゆえ、われあいするこころもっひとあいするなり

道というの天地自然のものであり、人は之にのっとって生きるべきものであるから何よりもまず、天を敬う事を目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛し下さるから、自分を愛する心をもって人を愛する事が大事である。



第二十五ケ条


ひと相手あいてにせずてん相手あいてにせよ。てん相手あいてにしておのれれをつくし、ひと
を咎とがめず、まことらざるをたずぬべし。 

人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。天を相手にして自分の誠をつくし、人の非をとがめるような事をせず、自分の真心の足らない事を反省せよ。 


第二十七ケ条

あやまちをあらためるに、みずかあやまったとさへおもかば、れにてし、其事そのことをばてて顧みずかえりみずただち一歩いっぽ踏出ふみだし。 

過ちを改めるに、自分から過ったとさえ思いついたら、それで良い。その事をさっぱり捨てて、ただちに一歩前進するべし。


第三十ケ条

いのちもいらず、もいらず、官位かんいかねもいらぬひとは、仕末しまつこまるものなりこの始末しまつこまひとならでは、艱難かんなんともにして、国家こっか大業たいぎょうられぬなり。

命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。このような始末に困る人でなければ、困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成する事は出来ない。


第三十五ヶ条

ひと籠絡ろうらくして、かげことはかものは、ことるとも、慧眼けいがんよりこれれば、醜状しゅうじょういちじるしきぞ。ひとすに、公平こうへい至誠しせいもってせよ。公平こうへいならざれば、英雄えいゆうこころけっしてられぬものなり

人をごまかして、陰でこそこそと策略する者は、たとえその事が上手に出来あがろうとも、物事をよく見抜く人がこれを見れば、醜い事がすぐ分かる。人に対しては常に公平で真心をもって接するのが良い。公平でなければ英雄の心を掴む事は出来ないものだ。

第三十九ヶ条

いまひと才識さいしきれば、事業じぎょう心次第こころしだいに、さるるものとおもへども、さいまかせてことは、あやうくしてられぬものぞ。体有たいありてこそ、ようおこなはるるなり。肥後ひご長岡ながおか先生せんせいごと君子くんしは、いまたるひとをもることならぬように、なりたるとて嘆息たんそくなされ、古語こごきてさずけらる。
それ天下てんかまことに非誠あらざれば不動うごかず非才さいあらざれば不治おさまらず誠之至者まことのいたるものは其動也速そのうごきやはやし
才之周者さいのあまねきものは其治也広そのおさむるやひろし才興さいと誠合まことをあわせしかる後事のちこと可成なるべし

今の人は、才能や知識だけあれば、どんな事業でも思うままに出来ると思っているが、才能に任せてする事は、危なかしくて見てはおられないものだ。しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老、勤皇家)のような立派な人物は、今は見る事が出来ないようになったといって嘆かれ、昔の言葉を書いて与えられた。
『世の中のことは真心がない限り動かす事は出来ない。才能と識見がない限り治める事は出来ない。真心に撤するとその動きも速い。才識があまねく行渡っていると、その治めるところも広い。才識と真心と一緒になった時、すべての事は立派に出来あがるであろう』



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